「ほっ」と。キャンペーン
Cecile Story
dianas.exblog.jp
ブログトップ
■ 建長寺から鶴岡八幡宮へ
2008年 06月 15日 |
a0076043_2256986.jpg
北鎌倉からハイキングして辿り着いたのが建長寺。
新緑に包まれる壮大な三門(山門)が出迎えてくれました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧蘭渓道隆である。鎌倉五山の第一位。

【三門(山門)】
安永4年(1775年)の建立で重要文化財に指定されている。銅板葺きの二重門(2階建て)で、初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しとしている。上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置する(上層は非公開)。「建長興国禅寺」の額字は寺伝では後深草天皇の筆というが、大通禅師西礀子曇(せいかんすどん、宋僧)の筆とするのが正しいようである。2005年に重要文化財に指定された。




a0076043_22562316.jpg
皆さん、ご覧下さい!ダディーのカメラマンスタイル!!
毎日mayさんの傍で写真を撮る姿をみつづけていらっしゃいますから、カメラマンスタイルもばっちり決まっています。
a0076043_22563472.jpg
さらに歩いて鶴岡八幡宮の本宮に到着。ふーーーーっ。
文政11年(1828年)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されています。

毎度お世話になります!
トリアーノさんの『鎌倉シルビアン 21 鶴岡八幡宮 本宮(上宮)
a0076043_22564459.jpg
では、おみくじでも引きましょうか。
たんたんとねねちゃんに小銭を渡すと、「dianasさんの分を引くね」とねねちゃん。
お小遣い制度をきちんと躾されている子供達にお金を渡すのはどうなのだろうかと一瞬頭をよぎりましたが、
小学校4年生でも母親の考えを熟知しているねねちゃんの切り返しは賢い!
a0076043_22565264.jpg
ねねちゃんが引いてくれた私の運勢は・・・
「末吉」(笑)
磯崎に たゆまず よする 荒波を
しのぐ巌の 力をぞ思ふ 
a0076043_22565990.jpg
「たんたんのはひみつだからみせないの!」と抱え込んでいます(笑)
この後、たんたんは本宮の前の石段に座り込んで丁寧に丁寧に細く折って持ち帰りました。
そんなにいいおみくじではなかったから、おみくじを結んでいけば??と言ってもかたくなでした。
このあたりのたんたんとねねちゃんの違いがまた年齢の差と性格なんでしょうね。
a0076043_2257996.jpg
美しき朱色の舞殿を見下ろしながら、階段を一段一段降ります。
もう、足はがくがく・・・。

舞殿についても、トリアーノさんが極上のお写真と詳しい説明をされてます(^^)
またまたお世話になります!
鎌倉シルビアン 22     鶴岡八幡宮 舞殿   上巻
鎌倉シルビアン 23     鶴岡八幡宮 舞殿   中巻
鎌倉シルビアン 24     鶴岡八幡宮 舞殿   下巻 (鎌倉メーター付)
a0076043_22572360.jpg
この日、初めて会ったtoshiさんとダディーは旧知の朋のように意気投合。
toshiさんとは心おきなく英語で会話が出来るから、思う存分ダディーも楽しんでいらっしゃいました。
a0076043_22573341.jpg
樹齢千年余といわれる大銀杏。
建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁は、
この銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したと伝わっています。
a0076043_22574426.jpg
それぞれに、鎌倉の歴史に思いを馳せながら、初夏のひとときを味わっているようでした。
a0076043_22575127.jpg
小走りで現れたのが正装をした巫女さんでした。
天女の衣のように美しい布地を翻しながら、頭を下げながら歩く姿が印象的でした。
a0076043_22575919.jpg
しばらくしたら、白無垢姿の花嫁さんのご一行が現れました。
歴史と情緒溢れるこの参道を新郎に手を委ねて歩く姿は堂々たる風格がありました。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりである。永保元年2月には河内源氏3代目の源義家(八幡太郎義家)が修復を加えた。

治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った河内源氏後裔の源頼朝は、12日に宮を現在の地である小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設を整備していった。建久2年(1191年)に、社殿の焼失を機に、上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺を勧請した。承元2年(1208)には神宮寺が創建される。

[PR]
by dianas | 2008-06-15 23:43 | ・鎌倉 |
<< ラムネの喉越し ページトップ たんたんのストレッチ >>
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
White Skin by Sun&Moon