Cecile Story
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■ 湯島聖堂
2008年 01月 07日 |
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本郷通りを挟んで、神田明神の向かい側に立派な建物が気になったので足を運んでみました。
恥ずかしながら、ここが「湯島聖堂」とは知らなかった私・・・。
東京に長くいますが、まだまだ知らないことがいっぱいなのでしょう。



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門をくぐり、「大成殿」に入ると、中国風のお正月のお飾りや賢人達の画が掲げられています。
(内部の撮影はしていません)
入り口の看板を引用
■湯島聖堂と孔子
「孔子」は2500年ほど前、中国魯の国(今の山東省曲阜市)昌平郷に生まれた人。その教え「儒教」は東洋の人々に大きな影響を与えました。儒学に傾倒した徳川五代将軍綱吉は、1690年(元禄3年)この地に「湯島聖堂」を創建。孔子をまつる「大成殿」や「学舎」を建て、自らも「論語」の講釈を行うなど学問を奨励した。1990年(平成2年)聖堂は創建300年を迎えています。

■昌平坂学問所跡
1797年(寛政9年)幕府は学舎の敷地を拡げ、建物も改築し、孔子の生まれた地名をとって「昌平坂学問所」(昌平學ともいう)を開きました。学問所は、明治維新(1868年)に至るまで70年間、官立の大学として江戸時代の文教センターの役割を果たしました。

■近代教育発祥の地
明治維新により、聖堂は新政府の所管となり、明治4年に文部省が置かれたほか、国立博物館(今の東京上の)、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今のお茶の水女子大学)などが置かれ、聖堂は近代教育発祥の地となったのです。

■現在の湯島聖堂
もとの聖堂は4回もの江戸大火にあって消失、再建を繰り返し、さらに大正12年関東大震災でも焼失しました。今の建物は1935年(昭和10年)鉄骨、鉄筋コンクリート造りで再建したものです。ただし、入徳門は1704年(宝永元年)に建てられたものがそのまま残っており、貴重な文化財となっています。
東京女子師範学校は父方の祖母の母校。彼女が元気な頃にはよく学生時代の話を聞きました。
戦争が始まる前ですし、きっと人生で一番輝かしい時代だったのでしょう。
昭和の初めに16歳で福岡・小倉からやってきた祖母は、飛び級で東京女子師範学校に入学しました。
袴をはく女学生が多い中、洋服が好きだった祖母は「それなりに」めかし込んで通ったそうです。
太宰治の奥様の津島(旧姓石原)美知子さんと同級生で、秀才の彼女の話もよく聞きました。
美知子さんとは背の高さがほぼ同じだったそうで、
「いつも体育の授業でペアを組まされ、ダンスを一緒に踊ったけれど、どうも運動音痴で足をよく踏まれたのよ。
頭はずば抜けて良かったけどね」と語る祖母の笑い顔が懐かしく思い出されます。
当時自筆で書き込み、ところどころ赤鉛筆でラインが引かれ、ぼろぼろになった『源氏物語』を手にしながら、
学生時代の楽しかった話をいろいろ教えてもらいました。
80年近く前、お茶の水のこの場所で青春を謳歌していた祖母の姿に思いを馳せながらお参りしました。
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学問の神様をまつっている場所ですから、売っているものも他のお寺さんとは一風違います。様々な筆が並べられていました。
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絵馬がかかっているところでは、丁寧に絵馬を結んでいる男の子がいました。きっと受験生でしょう。
写真はぶれていますが、自分の絵馬に願いを込めて一生懸命結んでいる姿が印象的でした。
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電車に乗っていても、入試の案内を目にするようになりました。
年が明けると受験シーズンもすぐ目の前です。
ラストスパートまで体調を崩さず全力を出し切って欲しいですね。
一人一人の願いが叶いますように・・・
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by dianas | 2008-01-07 20:26 | ・東京 |
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