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Cecile Story
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■ 世界遺産 春日大社
2007年 09月 21日 |
世界遺産 春日大社_a0076043_018461.jpg
興福寺から歩いて1.5kmほどで春日大社へ。
こちらも世界遺産に登録されている荘厳な場所であります。

逆光になってしまって、二の鳥居の朱色がわかりにくいですが、艶やかな朱色で見応え充分。
現在のものは平成七年に建て替えられています。
鬱蒼とした樹木の間に立つ鳥居は御蓋山(みかさやま)を真正面に仰ぎ見る所に位置しているそうです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山に遷して祀り、春日神と称したのに始まる。社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。

藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。平安時代初期には官祭が行われるようになった。当社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。嘉承3年(850年)には武甕槌命・経津主命が、天慶3年(940年)には天児屋根命が最高位である正一位の神階を授かった。延喜式神名帳には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。

藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、弘仁4年(813年)、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。

明治4年に春日神社に改称し、官幣大社に列した。昭和21年12月に現在の春日大社に改称した。




世界遺産 春日大社_a0076043_018233.jpg
ローマには「馬の水飲み場」がありますが、春日大社は大きな鹿の像が鎮座し、「鹿の水飲み場」のようなお清めの場所。
暑い日だったので、手だけではなくここで顔まで洗っている人もいました(^^)
世界遺産 春日大社_a0076043_0183053.jpg
樹木の生い茂った参道には苔むした灯籠が立ち並びます。
お盆の頃にはこの灯籠に灯りが灯ったのでしょう。厳粛な灯りの夜、いつか見てみたいなぁ。
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重要文化財のこの廻廊が見たくて、奈良に来たのが本当の理由です。
朱色の華やかな門の連なりの美しさ。日本古来の様式美にしばしため息・・・。
古くは鳥居・瑞垣(みずがき)ないし築地塀(ついじべい)であったのを、
平安末期の治承三年(1179)、今日見る複廊形式の廻廊に改築されたそうです。
世界遺産 春日大社_a0076043_0184562.jpg
こちらも重要文化財の幣殿・舞殿。 檜皮葺で素木の作りだそうです。
貞観元年(859)創立。北側には、林檎の庭があります。
五月薪能の咒師走りの能はここで行われます。
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灯籠の間からバンビちゃんがひょっこりお顔をのぞかせています。
バンビーナ?それともバンビーノかな?
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深い森のような参道を歩いていると、日頃の垢が落ちていくような清々しさを覚えます。
こういう場所でデートできるのは素敵なこと。
世界遺産 春日大社_a0076043_019132.jpg
なだらかな山並みが美しい若草山。
古の歌人達がこの山を眺めながら歌を詠んでいたと思うと、薄曇りのお天気でしたが感慨深いものがあります。
Wikipediaによると阿倍仲麻呂の和歌「あまのはらふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の
「三笠の山」はこの山のことではないとありますが、私も勘違いしていました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若草山(わかくさやま)は奈良県奈良市、奈良公園の東端に位置する標高342m、面積3.3haの山。山が三つ折り重なっているため三笠山(みかさやま、みかさのやま)とも呼ばれる。

かつては三笠山が正式名称であった。

1935年、この山名に因んで三笠宮が創設される際に、同じ名前では恐れ多いとして山焼きに因んで若草山に改称した。北海道三笠市は、この山に因んで名づけられた同名の山が由来である。なお、阿倍仲麻呂の和歌「あまのはらふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の「三笠の山」はこの山のことではない。南隣にある春日山のことであり、春日山は御蓋山と書いて「みかさやま」の別名がある。奈良新聞のページにもあるように、この両者はよく混同される。

毎年1月に行われる山焼きは、1760年に東大寺と興福寺による領地争いが発端といわれているが定かではない。山頂には仁徳天皇の皇后磐之姫命の墓といわれる、鶯塚古墳がある。春季と秋季に開山。入山料:大人150円。小人80円。

若草山の山頂から見る奈良の夜景は、大都市のような華々しい光量はないものの大変見晴らしがよく、新日本三大夜景のひとつに認定されており、晴れた日の夜には多くのカップルが訪れる。若草山山頂への車のアクセスは奈良奥山ドライブウェイの利用に限られる(新若草山コース:510円/22時以降は無料)。山頂へのアクセスは山焼き前、新芽時期を除き可能(奈良奥山ドライブウェイに要確認)、前述の入山料はこの場合徴収されない。
奈良公園と隣接しているため若草山にも鹿が多数生息している。

なお、関西ではどら焼きの形が三笠山に似ていることから、「三笠」と呼ばれることが多い。

世界遺産 春日大社_a0076043_0192096.jpg
若草山の麓にものんびりしている鹿さんたちがちらほらと。
「氷」に誘われてそうなのは、私だけではないのかも(^^)
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